「牡馬クラシックレース」を勝った牝馬たち 5
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さて、いよいよ最後のウオッカに入るわけだが、実にヒデヒカリ以来、59年もの間、牡馬クラシックレースと今は言われる三冠レースでの牝馬の勝利がなかったのかを考えてみたい。
血統的裏づけ等のことはさておき、実はヒデヒカリが現在の皐月賞を勝った後も、ソコソコ牝馬は牡馬クラシックレースでも好績を残していた。
例えば1952年の日本ダービーでは、勝ったのはクリノハナだったが、タカハタが2着、クインナルビーが3着に入り、タカハタは前年の朝日杯の覇者であるとともに、皐月賞でもクリノハナの2着に入っている。またこの年のダービーに出走していた3着のクインナルビーは後に秋の天皇賞を勝つし、8着のスウヰイスーは桜花賞とオークスを制しし、また10着のレダは後に、現在も春の天皇賞ではただ一頭しか出現していない牝馬の優勝馬に輝く。
翌年も作家の吉川英治氏の持ち馬であったチエリオが皐月賞で1番人気となったように、牡馬と牝馬が互角と見られていた年もあった。
しかし1953年にオークスが従来の秋の開催から日本ダービーの1週前開催となったことで牝馬は連闘を強いられるようになり、日本ダービーの出走自体が減ってしまった。
無敗の牝馬二冠馬に輝いたミスオンワードは、連闘で日本ダービー(1957)に挑むも、17着大敗。また、1961年にはオークスを勝ったばかりのチトセホープがNHK盃を勝った同厩のチトセミノルのリタイアもあって急遽出走となり、2番人気を集め3着と健闘したが、実はウオッカが勝つまで、日本ダービーにおいてはこのチトセホープ以来、牝馬が3着以内にさえ入ることがなかった。
皐月賞の場合は、牝馬のクラシック第一関門の桜花賞が阪神で開催されることから、戦後の時点において既に出走馬そのものが少なくなっていった。
しかし菊花賞についてはオークスが春に開催が移ったばかりか、1970年にビクトリアカップが創設されるまでは牝馬もソコソコ出走したばかりか健闘している年もある。
1963年のレースではパスポートが3着に入り、三冠馬をかけ、断然人気を誇ったメイズイに先着している他、66年にはハードイツトもまた3着に入っている。
その後はさすがにビクトリアカップに回る馬がほとんどとなり、牝馬の挑戦もきわめて少なくなったが、1995年にはオークス馬のダンスパートナーが1番人気に支持された(5着)。
一方、古馬のレースでは、ここ10年間、牝馬が牡馬混合の中長距離レースを勝つケースも出ている。秋の天皇賞ではエアグルーヴ(1997)やヘヴンリーロマンス(2005)が勝った他、宝塚記念ではスイープトウショウ(2005)が勝利を収めている。
また、ジャパンカップにおいては勝てなかったものの、ヒシアマゾン(1995)、ファビラスラフィン(1996)、エアグルーヴ(1997・1998)と4年連続牝馬が2着に入っていることを考えると、牝馬のレベルについてはここ10数年の間にかなり上がっていることが伺える。
1960〜80年代については、牡馬の血統は錚々たるものである反面、牝馬の場合は幾分劣るところがあった。しかし、サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムといった種牡馬たちが輸入されるようになると、とりわけ、牝馬のレベルが格段に上がったように感じることとなった。ひいては今回、ウオッカが64年ぶりの牝馬のダービー馬へと上り詰めるきっかけになったのではないかと思うわけである。